グイノ神父の説教



2023年

A年

特別な祝日 

聖人の祝い

  神の母マリア
主の公現
主の変容の祭日
聖母マリアの被昇天




            神の母の祭日  A年  202311日    グイノ・ジェラール神父

                   民数記  6,22-27   ガラテヤ4,4-7   ルカ2,16-21

   新しい年の第一日目に、私たちの祈りの意向となるように三つのテーマが提案されています。それは、新年の幸せの願い、世界の平和、神の母マリアの保護です。

 今朝の第一朗読は私たちの上に神の祝福を注ぎます。「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように」と。これこそイエスの教会が私たちのために望んでいる新年の願いです。私たち一人ひとりが愛する人たち、今日出会う人たち、更に年賀状を送った人たちにも、同じように祝福できればいいと思います。

 また今日、私たちは世界の平和のために祈っています。今日の日が皆さんにとって平和で満たされた日とりますように。神ご自身から来る、この世が与えることのできないこの平和をベツレヘムの天使たちは約束しました(参照:ヨハネ14,27)。この平和が私たちを「平和の働き手」「平和の子」と変化させるはずです。確かに私たちが神を「父」と呼ぶために、また私たちが兄弟姉妹として一緒に生きるように神は私たちをご自分の子どもとなさいました。ガラテヤの手紙を通して、聖パウロはそれをはっきりと上手に説明しています。

 聖霊によってマリアからお生まれになったイエスは私たちの兄弟であり、また彼は「平和の君」でもあります。イエスの誕生はマリアを「神の母」としました。言い換えれば、マリアとイエスは全人類を救う神の愛の神秘の内に親密に結ばれています。神の母、私たちの母であるマリアは「平和の」でもあります。マリアは神の前で絶えず私たちのために祈り、執り成しておられます。私たちも、「神の母、聖マリア」と言いながら、マリアがずっと私たちのために祈り、執り成すことを願っています。

 「羊飼いたちは神をあがめ、賛美しながら帰って行った」と今日の福音の個所が教えています。神の母、聖母マリアを祝うことによって、また世界の平和のために祈ることによって、神をあがめ、賛美するように私たちは誘われています。新年の最初の日が、神に栄光と誉れを捧げる賛美の日になりますように。またこの日が母マリアに大きな「ありがとう」を捧げる日となりますように。なぜなら母マリアは私たちに救い主を与え、私たちのために平和を強く望んでいるからです。

 聖ルカは何回も「母マリアは自分の人生の出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と書き記しています。私たちも、父なる神と聖母マリアの眼差しの下で自分の人生と昨年のすべての出来事を思い巡らしましょう。そうすれば 神への信頼が強められ、そして私たちの愛と希望と祈りが養われることになります。この平和と喜びの日に当たって、神の母マリアの保護のもとで、三位一体の神、父と子と聖霊が私たち一人ひとりを豊かに祝福しますように。アーメン。

******************************************************************************************************************************

    主の公現の祝日 A 2023年 1月 8日    グイノ・ジェラール神父

          イサヤ60,1-6  エフェソ3,2-35-6  マタイ2,1-12

 主の誕生を祝うために、正教会は「主の公現」の祝日を選びました。正教会は夜にイエスの誕生を語る聖ルカの物語よりも、マタイの物語を参考にしています。イエスはもはや飼い葉桶の中に寝かせられていません。むしろ母マリアのそばに居て家の中で遊んでいます。イエスは2歳になっています。ヨセフは留守でした。きっとベツレヘムの近くに仕事に出かけているのでしょう。

 マタイはユダヤ人のために福音を書きました。この福音は旧約聖書が多く引用されています。今日の占星術学者の話は、カテキズムの宝石です。正しいメッセージを伝えるためにマタイは、話の中で歴史、天文学、神学、論争、聖書の個所とユダヤ教の伝統を上手に詰め込みました。確かに、マタイの福音は象徴で満たされています。それは神の約束と預言者たちの預言が実現されていることを示すためです。東方から来た占星術学者たちは「時が満ちている」ことを証ししています。「国々はあなたを照らす光に向かい目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る人々は皆、黄金、乳香、国々の富をあなたのもとに携えてくる」(参照:イザヤ60,3-46)。

 また、マタイの福音は、エルサレムの神殿で主の奉献の時に母マリアに預言されたシメオンの言葉のとおり、生まれた途端イエスは分裂のしるしでした(参照:ルカ2, 34)。ヘロデ王、大祭司そして律法学者にとって、イエスは不安をもたらし、妬みと恨みを引き起こす人物です。占星術学者とベツレヘムの羊飼いたちにとって、イエスは喜びと礼拝、平和と希望の泉です。

 実に、マタイの占星術学者の物語はあり得ない話であり、子供のおとぎ話に似ています。例えば、真昼にイエスの家まで占星術学者たちを導くあの不思議な星について皆様はどう思いますか。しかし、この物語を通してマタイは私たちを信仰の中心に導きます。主の公は全人類を救うために、イエスを通して人間になった神の現れです。確かに、主の公は「ご自分の民を訪れる」(参照:ルカ 1, 68)神の偉大な祝いです。

 占星術学者たちに従って全ての人がイエスを捜し求め見つけたら救い主と贖い主の神として礼拝するように、マタイは招いています。実際に、神は私たちを引き寄せるために、第一にいつも先に私たちを捜し求めています。占星術学者たちの星はそれを具体的に表しています。ご自分の方へ人を引き寄せるために神は目に見える印をあたえます。同時にその人が迷わないために神はそばに来て、その人に伴います。

 マタイの物語はこのように終わります。「『ヘロデのところへ帰るなと夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」と。キリスト者である私たちにとっては「自分たちの国へ帰る」ことは神の家に帰ることです。つまり神の愛の完成を受けることです。占星術学者たちと同じように私たちもイエスに出会う度に、私たちの人生が、自分の永遠の運命にますますぴったりと合う新しい方向を受けます。

 ミサ祭儀に与かる度に、私たちは変わるはずです。なぜならミサは神と完全に出会うドアを開けているからです。私たちは本当に神の子供たちですので、この神を「父」と呼ぶようにイエスは私たちに教えました。光と喜びで満たされている主の公の祝日は、どうして「神が人間になったのか」を説明しています。神が人間になった理由は、先ず、私たちは彼の子供たちであることを証明するためです。そしてご自分の愛と平和が永遠に私たちの心を満たすためでした。聖パウロはエフェソの信徒への手紙でこの事実を「キリストの神秘」と名付けました。ですから感謝と賛美をもって、この神秘を祝いましょう。 アーメン。

**************************************************************

        主の変容の主日  A年  2023年8月6日   グイノ・ジェラール神父

               ダニエル7,9-1013-14     2ペトロ1,16-19     マタイ17,1-9

 私たちは皆、ヴァン・ゴッホを傑出した素晴らしい画家として認めています。しかし、彼が生きている間には、彼の作品に興味を持つ人はとても少なかったです。彼の死後、彼の作品が賞賛されるようになるまでには30年以上かかりました。彼の作品は新しい宇宙の美しさを開くものでした。同様の出来事がペトロ、ヤコブ、ヨハネの人生でも起こったといえるでしょう。彼らがイエスに従って山に行った場所で、何が実際に起こったのかは、どの福音史家のテキストにも語られていません。確かなことは、イエスの弟子たちであった彼らがイエスという人の神秘に()かれて彼らの目が開かれたということです。

  既にイエスの弟子たちは、彼の非凡な人格について疑問を抱いていました。「風と海が従うこの人は一体何者なのか?」(参照:マタイ827)とビックリして言っていました。イエスが簡単に悪を退け、法学者やファリサイ派の人々に立ち向かう力をみて弟子たちは魅了されました。また、イエスの優しさ、苦しむ人々への慈悲、弱者への愛、そして自由な精神によって、使徒たちはしばしば驚かされました。しかし、イエスの奇妙な言葉にも弟子たちはよく戸惑いました。「この言葉は一体何を意味するのだろう?」(参照:マルコ4, 41 ;マタイ8, 27)と、彼らはたびたび言ってしまいました。彼らは、イエスはおそらく偉大な預言者だと気づいていたかもしれません。しかし、イエスが世界の救いを成し遂げるとは、弟子たちは全く想像できず、考えもしませんでした。

 イエスに従った弟子たちの冒険の中心には、今日の福音書で語られている啓示の瞬間がありました。イエスは一瞬だけ彼らの前で変容しました。彼らは彼の神性を見ました。この啓示は彼らを大いなる恐怖に陥れました。なぜなら、彼らは突然神の前に立っていたからです。その理由で彼らは地に伏しました。しかし、イエスの神秘はすぐに雲に覆われました。ただ神の言葉だけが弟子たちが見たものは真実であったことを確認しました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と。

  今日の福音の秘密はここにあります。ペトロ、ヤコブ、ヨハネは、彼らが目の前にいる人が「父なる神ご自身のみ言葉」そのものであることを突然悟ったのです。それをよく理解した聖ヨハネは後に「はじめにみ言葉があった。み言葉は神と共にあった。言葉は神であった」(参照:ヨハネ1,1)と書きました。また、「私を見る者は父を見る」(参照:ヨハネ14, 8-9)というイエスの言葉も書き残しました。変容の山でイエスの顔は変わりませんでしたが、イエスに対するペトロ、ヤコブとヨハネの視点が完全に変化しました。

 山を降りてくる途中で、イエスは自分待ち受けている未来を明らかにしました。自分が死んでから、復活することです。しかし、弟子たちは今度もその言葉を理解しませんでした。彼らが、最終的にイエスが誰であるか、そしてイエスが語った言葉の意味を理解するには、まだ時間が必要でした。

 ある日、ある人は言いました。「主よ、私は信じますが、私の信仰を増してください」 (参照:マルコ 9, 24)と。この祈りは私たち自身の祈りでなければなりません。神が私たちの内に、また私たちの周りに実現することを理解するために、私たちは決して十分に目を開くことはありません。実に、神の愛と私たちが受けた洗礼によって私たちは変容しました。私たちは父なる神の愛される子どもであり、光り輝く光の子どもです。私たちはそれを理解して十分に信じているでしょうか。それをはっきりと人々に示していますか、またキリスト者のうちにそれを見るでしょうか。「光のうちに、光を見るように」(参照:詩篇36, 9)私たちは召されています。ですから、ペトロ、ヤコブとヨハネに対して神がなさったように、今度は私たちの目を照らしますように。アーメン。

***************************************************************

          聖母の被昇天の祭日 A 年 2023年ン815日 グイノ・ジェラール神父

             黙示録 11,1912,1-6        1コリント15,20-27       ルカ 1,39-56

 1950111日に聖母の被昇天の教義を宣言することで、教皇ピウス12世は復活されたイエスを信じたすべての人々がキリストの栄光に与かることを説明しました。「信じた人々は『復活にあずかる者として、神の子だからである』(参照:ルカ20,36)。つまり信じた人々は復活の相続人ですその理由でマリアが示した信仰によって、彼女は体と魂をもって、自分の子イエスの天の栄光と一致されました」と。

西暦46年に書かれた聖パウロの手紙は、どのようにして、イエスが私たち皆を神の命と、ご自分の復活の命にしたがわせるかを示しています。多分この時に、マリアはまだ生きていたかもしれません。聖パウロは母マリアについてあまり語っていないからです。

 昔から人間の目は常に空に向けられています。聖ヨハネは、自分の人生の終わりの頃、星の輝く空を見つめることで、十字架の下でイエスから託された母マリアを最もよく表現するものを見つけました。「天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」(参照:黙示録12, 1)という、壮大なイメージを通して、聖ヨハネは復活したキリストに対する私たちの信仰が何を与えるかを説明しようとします。マリアを天国の栄光に上げることによって、神は、彼女のために計画されたプロジェクトを最終的に実現しました。マリアは最初の人間として、私たちにも与えられるべき栄光を受けました。神が私たちに対するご自分の愛と救いの計画を私たちの内に完成させるときに、私たちも同様に栄光に与かることになるでしょう。

 マリアはかつてエリザベトの前で歌った自分のマグニフィカト(讃美の歌)を今日、天国の喜びの中で、天使や聖人たちの前で歌っています。彼女は謙遜に、神が自分のために成し遂げられた素晴らしいを宣言します。マリアはまさに神の傑作です。神はマリアのために偉大な業を行ったので、マリアは「すべての女の中で祝福された方であり」、そして「今から後、いつの世の人も、マリアを幸せな者と呼ぶでしょう」。

 エリザベトは聖霊に満たされ、マリアがなぜ幸福であるかを最初に説明しました。「主の言葉を信じたからです」と。神のみ言葉は生命と喜びを与え、それを広める神聖な言葉です。マリアは、自分だけでは何もできないと信じ、主が自分のためにすべてを成し遂げることができると信じました。マリアは神に対して揺るぎない信頼を置き、全てを理解理解できないことを謙遜に受け入れました。マリアは小さく謙虚なままで主のはしためとして生きていました。しかし神は謙遜な者をたかく上げるので、マリアを天国の栄光に引き上げられました。

 私たちの母であるマリアは天国の栄光の中でひとりぼっちではありません。自分のすべての子どもたちが神から受けた栄光を共有することをマリアは熱望しています。そのため、マリアは私たちのことを大切に思い続け、私たちを神に引き寄せることをやめません。また、マリアは私たちに自分の子イエスを差し出します。それは、私たちが彼を抱きしめ、心にしっかりと抱きしめることができるようになるためです。イエスは私たちの兄弟であり、彼だけが私たちの天の母であるマリアをどのように愛するかを教えてくれます。

 ですから、今日私たちはマリアに祈りましょう。私たちが神の言葉の中で生命と喜びの泉を見つけることができるようにマリアは必ず助けてくださいます。また私たちの信仰を養い育て、強めるために神の言葉の内に必要なものを見つけるようにマリアは教え導きます。さらに、マリアの祈りと取り次ぎが私たちを忠実、謙遜、分かち合いの道に安全に導きますように。アーメン。





トップページに戻る       

 

 

 

 


newpage3.htmlへのリンク